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監視のあり方を変える:世界初のネットワークカメラの影の立役者

9 読了時間 (分)
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Martin Gren and Carl-Axel Alm

成功するための確かな方程式は存在しません。しかしよく見ると、素晴らしい発明と革新には共通点がいくつかあります。それは、アイディアと志を持ったタイミングの良い、熱意溢れる人々です。これらの要素は、世界初となるAxisネットワークカメラの発明の基礎でもありました。そしてすべては、日本への旅から始まりました。

画期的なアイディアの始まり

素晴らしいアイディアの種が蒔かれた、90年代初頭のある一日に遡ってみましょう。Axisの共同創業者であるマーティン・グレン (Martin Gren) は、潜在的な顧客に会うため、出張で東京を訪れていました。その内の一社は、不可能ではないにしても、販売がかなり難しいアナログカメラの在庫を抱えていることがわかりました。彼は、Axisがネットワークをよりスマートにする技術の実験を行ったことを知り、マーティンにそのカメラをネットワークに接続することが可能であるか尋ねました。マーティン・グレンは、その可能性を見出し、このアイディアが芽を出し始めたのです。

そのときマーティンは、カール・アクセル・アルム (Carl-Axel Alm) というAxisのエンジニアが、ネットワークビデオ会議システムのプロトタイプを開発していることを知りませんでした。新しいアイディアを持って日本から帰国し、同僚が取り組んでいるものを見たとき、これをアイディアから現実に変えるまでの道のりはそう遠くないことに気づきました。しかしマーティンは、アクシスは将来、ビデオ会議システムのビジネスを行うことはないと考えており、ビデオ会議システムにこのテクノロジーを使用する代わりに、新しいハードウェアを使用してネットワークカメラを作ることを提案しました。

Carl-Axel Alm
当時について「動作は遅く、1フレームの表示に17秒かかっていました」と、カール・アクセル・アルム(Carl-Axel Alm)は述べています。

インターネット経由で制御データを受信し、録画を送信するネットワークビデオカメラの実現について語るとき、この開発プロセス全体が進められたのが、ワールド・ワイド・ウェブが広く知られるようになる前であったということを覚えておく必要があります。当時Webは、主にネットワークエンジニアと専門家によって使用されていました。したがって、チームはその時点で利用可能なテクノロジーの範囲内で製品を開発しなくてはならなかったのです。カール・アクセルは、当時の状況を振り返り次のように説明しています。「とても良い上司に恵まれていたなら、モデムや200 MHzのコンピューターを使うことができたかもしれません。パフォーマンスは遅く、17秒あたり1フレーム (毎分3フレーム) しか処理できませんでした。そのため、私たちが開発した製品は、当時利用可能なテクノロジーと同等でした。」これに対しマーティンは、次のように付け加えています。「私たちがその製品を開発したのは、それを成し得たからであり、市場のニーズがあると考えたからではありませんでした。」

オリンピックが開催された直後の1996年9月17日、アトランタで、ついにその努力が実り、世界初のネットワークカメラであるAXIS 200 Network Camera「NetEye」が発表されました。

では、最初の顧客は誰だったのでしょうか? 「当社は間接ビジネスモデルを採用していましたが、テクニカルサポートの問い合わせやエンドユーザーのリードも得ていました。その内の一つが、Appleの共同創業者であるスティーブ・ウォズニアック氏からのものでした。彼は、当社に初めてサポートに関する電話をかけてきた人です。そのとき、彼が何台ものAXIS 200を所有していることを知りました。」とマーティンは語っています。

認識と印象

Martin Gren
マーティン・グレン(Martin Gren)は「人々から、安物のウェブカムに取り組んでいる、この展示会にふさわしくない会社だと思われていたのです」と当時を振り返ります。

新しい大発明の多くは正しく理解されませんが、世界初のネットワークカメラもまた、同じ問題に直面しました。「私たちが素晴らしい発見に向かっていることを実感した機会が、2回ありました。1回目はAXIS 200が発表される前の1996年春にイギリスで開催された展示会「Ifsec」を訪れたときです。すべてがアナログでした。業界がこのままアナログであり続けるのか、私たちが大きな何かを成し遂げるのかのどちらかでした。2回目は1998年の同じ展示会で、AXIS 200を発表したときです。人々が当社を過小評価していることが明確になりました。安物のウェブカムに取り組んでいる、この展示会にふさわしくない会社だと思われたのです。」

世界初のカメラの販売とARTPECチップセットの誕生

「私たちがAXIS 200の開発を始めたのは、それを成し得たからであり、市場のニーズによるものではありませんでした。しかし、「Ifsec」などのセキュリティ関連の展示会を訪れるとすぐに、当時の既存技術が時代遅れであることに気付きました (アナログが主流であったため)。映像監視業界のビジネスモデルも同様です。」とマーティンは語っています。当時は、企業ではなく、メーカーの担当者がインテグレーターやエンドユーザーに製品を直接販売するのが一般的なビジネスモデルでした。他の多くの企業とは異なり、Axisは非常に厳格な二階層のモデルを採用しているIT企業としての立場を貫いていました。つまり、アクシスは正規ディストリビューターにのみ製品を販売し、そこからインテグレーターへ販売されるという方式です。例外はありませんでした。ネットワークカメラにはソフトウェア、サーバー、スイッチ、ルーターのエコシステムが必要であったため、旧モデルは適用できず、何よりも二階層のビジネスモデルは、はるかに拡張性に優れていました。

Axisはさらに多くの取引を得るようになり、チームに自分たちが素晴らしい何かに向かっているという自信をもたらしました。そこでチームは、業界初のネットワークカメラ専用チップ、ARTPEC-1 (Axis Real Time Picture Encoding Chip) への投資を決断したのです。ARTPECは、ボストンのアクシスマーケティング部門の従業員の1人によって名付けられました。「最初のARTPECチップへの投資はかなり高額で、もし失敗していたら会社が破産していたかもしれません。私たちは、これが大きなチャンスであることに気付き、会社の発展のため開発を続けました。」とマーティンは述べています。この決断の見返りを得るまでに、長くはかかりませんでした。ARTPECは、映像監視に適したカメラの実現を可能にし、カメラのビジネスが急速に成長するための基盤を築きました。この結果、収益が増加しました。

最初のデザインの裏にあるストーリー

Original sketch of AXIS 200
AXIS 200の最初のスケッチは、世にあるカメラのような箱型とは異なるデザインでした。

さらに、当時のその他すべてのカメラのようなレンガ形とは異なる、カメラの珍しいデザインが注目を集めました。このかなり変わったデザインには、いくつかのデメリットがありました。「当時このデザインには、非常に良い面と非常に悪い面がありました。良い点としては、今までにまったくない外観であったため、多くのコンピューター雑誌の表紙を飾ることとなりました。悪い点は、カメラに合うハウジングを探すのに非常に苦労したことです。」とカール・アクセルは説明しています。

これに対し、マーティンは次のように語りました。「これは、プロセスの少し先、カメラがすでに市場に出回っていたときの面白い話につながります。ケティルというテクニカルサポートチームの1人が、スキー場にAXIS 200を設置したお客様から、カメラが機能しないという電話を受けました。カール・アクセルが言ったように、当時私たちは、このカメラに適したハウジングを探すのに苦労していました。ケティルが設置場所の気温を尋ねると、マイナス22 °Cと言うではありませんか! そして、使用しているハウジングのタイプについて聞くと、こんな答えが返ってきました。『ハウジング? ハウジングとは?』『カメラを屋外に設置する場合は、ハウジングを使用していただく必要がありまして...』」

「NetEye」の障害

ここまでは非常にスムーズな道のりのように聞こえますが、多くの素晴らしい発明同様、このチームもいくつかの障害に直面しなくてはなりませんでした。一部は比較的小さな問題です。たとえば、2つ目の商標となるカメラの社内製品名、「NetEye」の登録には、コストがかかりすぎることが分かりました。AXIS 200のままにしたのは、このためです。しかしチームは、こういった困難にくじけることはありませんでした。「やめるという選択肢は一切ありませんでした。最も重要なのは、私たちの部門がアクシスの他の部門から独立していたことです。これにより、新しいアイディアを練る自由と空間を得ていました。そうでなければ、これほどのことをやり遂げることはできなかったと思っています。」とマーティンは語っています。

カール・アクセルもこれに同意し、こう付け加えています。「中心となる私たちのチームは8~10名で、Axisの他の部門から完全に独立して、カメラ部門を統括していました。試行錯誤を重ねることができました。しかし同時に、購入、販売、財務など、会社の他部門からのサポートが受けられたことは、非常に役立ちました。」

これまで、こういった問題に管理部門を巻き込むことはありませんでしたが、90年代にまったく存在していなかった製品について納得させる必要がありました。以前にも発明はありましたが、それらは主に既存の製品の拡張版や改良版であったため、顧客や管理部門に良さを理解してもらうことは難しくありませんでした。「Axisの取締役会にプレゼンテーションを行い、私たちが大きな成果に向かっていることを示そうとしました。カメラの映像を見る手段としてウェブブラウザを使用するということの実現は、まさにゲームチェンジャーというべきものでした! これは後に、ライブ映像を配信するウェブサーバーになりました。マイケル・カールソン(Mikael Karlsson)と取締役を説得した結果、2年間で1万台を販売することを条件として発売が認められ、その後、販売数は14,000台に達しました。このカメラがまったく新しいものであったことを考えると、かなり良い数字だったと思います。」とマーティンは述べています。この数字が製品の良さを物語り、マーティン・グレンはカメラ事業部門を立ち上げました。Axisの新しい時代の幕開けでした。

Axisの小さなカメラ、映像監視の大きな進歩

幸いなことに、こういった問題にマーティンとカール・アクセルがAXIS 200の開発をあきらめることはありませんでした。これは、ネットワークソリューションを通じた、よりスマートでより安全な世界への基盤となった装置です。そしてこのソリューションには現在、ネットワーク映像監視、インテリジェントアプリケーション、アクセスコントロール、音声システムなどがあります。

2つのアイディアがどのように統合し、AXIS 200のように監視市場の状況を永久的に変えた装置を生み出すことができるかを知るのは感動的です。誰も、開発者たち自身でさえ、これが23年後にもたらす状況を想像することはできなかったでしょう。このネットワークカメラは、新しいテクノロジーの足掛かりとなっただけでなく、数多くの興味深い複雑なユースケースのベースとなりました。

2人の発明家の話を聞いていると、彼らが自分たちの仕事に誇りを持っていることがわかります。「私は25年以上Axisで働いており、サーマルカメラ、モジュラー型カメラ、レーダーなどの誕生を目の当たりにしてきました。私は『ジャイロ・ギアルース』のような少し変わった発明家なので、今でも同じ開発エンジニアとして働いています。新しくて楽しいものを開発することが私の原動力なのです。多くの販売台数を見込めるものですね。ただの流行りとなるような製品を開発するのは好きではありません。良い製品であることがわかり、お客様に気に入っていただけるモノを目指しています。」とカール・アクセルは微笑みながら語ってくれました。

Axisのイノベーションについてのより詳しい情報
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